BEACH CAFE SUNSET、Bakery Restaurant CURRENT、鮨 和食 空-ku-
そしてSUNSET LIVEを運営する、わたしたちが提案するオリジナルのコミュニティカルチャーとして、ウェブマガジン“SUNSET STYLE”を立ち上げることになりました。
ライフスタイル、自然、文化、歴史、イベント、つながりのある方々やものにスポットを当て、ここ糸島から世界に向けて、様々な切り口で情報を発信していきます。
今回はSUNSET LIVEプロデューサーであり、福岡の音楽シーンを牽引し続けている、深町健二郎 氏に、福岡の音楽シーンやSUNSET LIVEについてのお話を前編、後編の2部構成にて伺いました。今回は前編です。
── 今回はSUNSET LIVEに深く関わっていただいている深町さんの活動などをお伺いしたいと思います。まずはじめに、生年月日をお聞かせください。
深町健二郎:1961年12月22日生まれです。林さんとの学年でいえば一個下です。
── 深町さんのご趣味は?
深町健二郎:なんだかんだ言って音楽です。仕事でもあるし、趣味でもあります。
── 深町さんが、もっとも影響を受けた方はおられますか?
深町健二郎:一番近いところでは親父と兄貴です。親父は音楽などにそんなに理解がある人ではなかったけれども、人として人間的にはすごく尊敬できる人でした。
── 音楽が好きになるきっかけはお兄様?
深町健二郎:兄貴は音楽への入り口を作ってくれました。二つ上です。音楽を好きになったきっかけが小学校4年生なのですが、多分あの時代でいうと洋楽への入りは人より早かったと思います。小学校4年生から聞いていました。二つ上の兄貴が友達たちと、ラジオを聞いていました。いくら音楽が好きとはいってもその当時はレコードをいっぱい買うお金もない、でもラジオを聞いていれば流行の音楽、洋楽も邦楽もいっぱい聞けたので。テレビはまだ音楽番組がなく、兄貴たちが聞いていたのを横から覗き見したり聞いたりしているうちにだんだん自分も好きになったというのがきっかけです。
── お兄様は音楽関係のお仕事をされているのですか?
深町健二郎:今は全然仕事もしていないくらいの自由人です(笑)。
── 音楽に興味を持ち始めた当時のアーティストや楽曲で、特に印象に残っているものはございますか?
深町健二郎:やっぱりビートルズ。ちょうど僕が小学校4年生の時は1971年でビートルズが解散した直後くらいでした。解散したということで、例えば映画館ではビートルズの映画3本立てがやってたり、改めてビートルズはどういうバンドだったかというのを振り返るような企画がいっぱいあって、全然リアルタイムではなかったけれど、ビートルズを色々まとめて聞けました。追っかけて聞いた感じです。他にもリアルタイムではTレックスやデビッドボウイなど、友達はみんなその当時の歌謡曲などを聞いていたので、全然話が合わなかったです(笑)
── その当時日本の音楽はどういったジャンルやアーティストが流行っていましたか?
深町健二郎:フィンガーファイブや山口百恵とか、アイドル全盛期の入り口で、もちろん一通り耳に入ってましたけど、まだ姿形を見たことのないビートルズこそが僕にとってはアイドルでした。たまたま従姉妹がビートルズの来日公演を武道館に見に行くなど大ファンで、その従姉妹が家に置き忘れたレコードをこっそり聞いたりしているうちに益々好きになりました。言葉は英語だし全然わからないけど、何故か心にグサグサ刺さりました。
── 特にビートルズの中で好きだった曲は?
深町健二郎:あの頃は特に初期の頃の方が好きでした。
── 初期とは?
深町健二郎:例えばまだカバーとかしている時代、チャック・ベリーのロックンロールミュージックとか、モータウンもカバーもしていたし、だから初期の頃のあのビートバンドの頃の音が、子ども心にはノリノリでしたね。
── 映画も見に行かれたんですよね?
深町健二郎:解散後にあった映画の3本立ては、言ってもまだちびっ子なので一人で映画館には行けず、お袋に無理矢理連れて行ってもらっていました。あのでかいスクリーンで体感した爆音でまたやられました。それからバンド思考になっていって、自分もいずれバンドをやりたいなという思いがありました。
── 深町さんと何度もお会いしていますが、今回初めてこう、改めてお話を伺っているため、聞きたいことがありすぎて…。笑
深町さんはタレントであり、アーティストであり、イベント、街づくりなど、活動の幅が広く、僕のイメージでは、色々なことを教えてくれる大先輩という存在なのですが、これまでの経緯を肩書きなどで表す時に、深町さんをなんて説明したらいいのか?と悩みます。
深町健二郎:いつもそれで俺も悩みますね。ケースバイケースだったりするし、でも福岡って良くも悪くもコンパクトにぎゅっと凝縮している感じがあります。東京にもしばらく住んでいて、もちろん刺激はあるし色々そこの分野分野でスペシャリストがいたりするけれども、東京は音楽は音楽、ファッションはファッションと縦割りになってしまっている。でもそんなふうに別れていてもカルチャーは根底では繋がっている。むしろそのギュッと混ざり合っているところが面白い。子供の頃からあまり自分の中で分け隔てしていない。
── いい意味で色々なものを吸収して、それをそのまま形にしているということですね。
深町健二郎:大きな転機となったのは、ちょうど平成になった年、30年ぐらい前。解散したロッカーズのメンバーらと東京で音楽活動をしていてようやく芽がで始めた頃、親父が病気で倒れたこともあって、帰郷することになりました。地元企業である西鉄旅行という会社に就職をしてそれまでの経験を活かすようなコンサートツアーとかアーティストの移動手配をやるなど、ちょっと特殊なことをしていました。
そういうことをやっていた経緯があって、あるイベンターの人から実は今度ソラリアプラザという商業施設ができる、そこでイベントプロデューサーを探しているから話でも聞いてみないかと言われて、それはもう何かのご縁だし話だけでも聞かせてくださいと。しかしいざお話をお伺いすると、やはり候補者はどなたも結構豊富な方ばかりで、僕だけ旅行会社という全然関係ない位置にいたのでこれは無理だろうと(笑)。
── その当時はまだ25歳!まだ若いですしね。
深町健二郎:実際オーディションみたいな形だったし、もう諦めていたら1ヶ月後くらいに電話がかかってきて、君に決まったと。なんでだと思ったら、君が一番白紙だった、色がついてないしどうにでもできる人なのかなと逆に期待されての抜擢だったようです。でも、入ったはいいけど翌々考えてみたら、今まで音楽のことしかほとんどしてないから、イベントのプロデュースと言ってもそれこそ白紙だった(笑)。そこから本を読み漁ったり、学生の頃映画館通ったなとか、色々なアートが好きだったりもあったので、だんだん自分なりにそれを広げて行きました。
任されたのがライブハウスだったら音楽だけに特化すれば良いと思うけど、そこは吹き抜けの商業施設。色々な面白い企画を、しかもここでしかやれないことをやれというミッションだったので、自分自身のレンジを広げる意味でも貴重な体験をたくさんさせて頂きました。
── 音楽だけではないイベントにもたくさん携わってこられた深町さんですが、文化の一つとして、いまの福岡の音楽シーンを見て感じることはございますか?
深町健二郎:今はもうなんでも情報が入ってくるし、福岡に移住する人も増えるなど、ヒト・モノ・コトが流動的にうごめいている。昔は街を歩けば博多弁が聞こえてきていたけど今は言葉もだいぶ標準語化してきているし、どの街も均質化されてきている感じがします。郊外には同じ大型ショッピングモールがどこにでもあって、商業施設も似たような感じで、そういう意味では福岡に元々あった個性が今や山笠とかどんたくとか、そういう精神面を引きずっているものでしか触れるところがないようにも思います。
そんなこともあり、福岡らしさがどんどん失われているという最中に、SUNSETというお店が糸島に出来て、そのお店がしばらくして SUNSET LIVEを立ち上げたのは、非常にエポックメイキングな出来事だったと思います。僕もそこに福岡の地域的ポテンシャルや、可能性があるかもしれないと思えたのです。
── SUNSET LIVEは福岡の音楽シーンを引っ張っていくというか、象徴する一つのイベントということでしょうか?
深町健二郎:そう、情報って街から発信されるものが一般的だけど、その対極的にあるカントリーというか、自然の豊かなところからまた別の意味でのカルチャーが生まれている。SUNSET LIVEも25周年という節目だけど、荒地の時代にボンって出てきたものなので、また福岡の良さを改めて知ることができました。
さっき言ったようになんでも混ぜ込んでしまって、またオリジナルなものが生まれてくるというところが福岡の良さだという話をしたけど、これはもっと言えば街と自然をコンパクトに融合した場所でもある。これが糸島でなく、もっと遠くに離れた場所だったら、そこのカルチャーは生まれにくかったと思うけど、街と田舎のちょうどいい距離感が良いのだと思います。
── ありがとうございます。深町さんご自身の今後の活動についてはいかがでしょう?
深町健二郎:やっぱりもっと当たり前のように街中からもっと音楽が聞こえてくるようにしたい。その最初の試みとして「福岡ミュージックマンス」を立ち上げました。
サンセットライブ、中洲ジャズ、九州ゴスペルフェスティバル、アジアンピックス、ミュージックシティ天神、これら5つのフェスが9月に集中していることを捉え、この1ヶ月間だけは福岡の街は音楽が溢れる祭典ということで、音楽都市・福岡を国内外へアピールしようと、各々のフェス主催者と連携しさらに福岡市のサポートも得て今年で4回目を迎えました。本当は9月に限らず、出来れば一年中当たり前に音楽に溢れた街になって欲しいと思っています。東京とも関西とも、他の地方都市とも違う「音楽」というアイデンティティが福岡の特徴とはっきり認識されるまで。
福岡は歴史的な背景から考えても、エンターテイメントシティとしての必然性がある。ライブハウスやホールは当たり前として、駅、空港、港のような玄関口から、公園や商業施設など様々なパブリックスペースで出くわすような音楽。そういう機会をもっと増やせるような活動をしたいですね。国内外からの観光客やビジネスマンを「音楽」で出迎える街がテーマです(笑)。
── 博多の人の人情、人柄、音楽でもオリジナルなものが生まれてきている中で、自分たちでしかできないものがあるのかなと思って。
深町健二郎:やっぱりすごくオープンマインドな人が多いです。あまり閉じず、よそからいろんな文化や人が入ってきても基本的に受け入れる場所だと思います。きっとこれはもう昔からそうだと思う。多分大陸の文化は全部福岡から入ってきているのだと思うし、それがずっと当たり前のようにあったはずだから、そういうものに関しては寛容なんだと思います。
── 僕は移住組なんですが、僕が思う福岡人は兄貴分です。面倒見ちゃーよー、なんとかしちゃーよーって、そういう気質から他の文化とか人たちを受け入れて、育ててあげるようなところがあるのかなと思います。
深町健二郎:みんな兄貴分的なね、そんなキャラクターばっかりでもないやろうけど(笑)、そういう人が確かに多いですね。すごい地元に対して誇りも持っている。博多っ子は特に。そして褒められたら喜ぶ。福岡いいよねと言われたら本当に自分のことのように喜ぶ。郷土愛って実はすごく大事で、そこを誇りに思えるか思えないかでやっぱり人の気って変わってくるから。早く出たいと思っている人がいっぱいいる街って、どうしても冷えてしまうけど、逆に熱みたいなものが福岡は集まりやすいところなのかもしれないですね。
── 福岡を一度出た方は戻ってこられる方が多いですね。
深町健二郎:戻ってきて、海外に行く人も多い。
── 海外というと、魅力的な街はポートランドのような都市のことですか?
深町健二郎:そうですね。古いけど新しいようなところもあれば、ただ単に資本経済で街が大きくなっていくという発想ではでなくて、DIYな上、サスティナブルで、わずか1週間ほどしか居なかったのですが、それでもなんとなくあの街の雰囲気とか良さは肌で感じました。色々と問題もあるようですが。
あと最近は、オーストラリアのメルボルンがものすごい気になっている都市。たまたま出会った好きな音楽を調べてみるとメルボルン生まれだったり。
── メルボルンですか?
深町健二郎:そう。色々調べたりしていると実はものすごい音楽都市で、カフェとか街中色々なところで音楽が鳴っているという話を聞きました。じゃあ当然そこに行政も絡んでるんだろうなと、街の若い人達もそういう取り組みを結構やっているようなので最近気になってます。
他にも行きたいところはいっぱいあります。アメリカだったらジャズ発祥の都市ニューオリンズや、サウスバイサウスウエストをやっているテキサス、オースティンも。それらはロスとかニューヨークではなく、福岡と同じような地方都市。何もないと言われるようなところでみなさんが色々なアイディアを出して、やっているんじゃないのかなと思います。
── SUNSETも何もないところから始まった、という点では、共通していますね。
深町健二郎:似てるね。何もないからだめというのでなく何もないからこそそこからできることがある。
── ポートランドの話に戻りますが、特に影響があった場所とかお店はありましたか?
深町健二郎:レコードショップがあんなにあるんだと思いました。
── 深町さんは、何軒ぐらいレコード屋を回られましたか?
深町健二郎:4店舗ぐらい。でもCDショップはなかったですね。レコードショップしかなかった。それが当たり前なのがかっこいいと思いました。古き良きものをちゃんと、いいものはいいもので守っていこうという。ただレコードを売るだけでなく、レコード機材も修理したりするというのがいいですね。カセットテープ専門店もあったり。
── ポートランドと福岡の似ている点はありますか?
深町健二郎:似ているというかコンパクトな都市ですよね。逆にいうと違っているなとは思いました。むしろポートランドの方が整合性があるというか、街も統一感があってそれが羨ましかったですね。福岡はやっぱりブレもあって、景気のいい話に行きがちなところもある。
── 政治的なベクトルということですね。福岡のオリジナルな魅力はどこだと思いますか?
深町健二郎:歴史、文化だと思います。歴史文化がちゃんと福岡には根付いているからみんな誇りがある。僕も若い時はピンとこなったけど、歴史から学べることってたくさんあると思います。その土地を考えた時に、この土地はそもそもどういう場所だったのかということを考えた時に、実は大陸とこういう交流もあったとか、だったらそこを活かして、今に置き換えた街づくりができる。そのヒントが過去にある。何か突発的に新しい発想をポンと出すよりは、困った時に先人たちがやってきたことを学ぶことで、またこれから向かうべき道が見えてくると思っています。
ちゃんと橋渡ししていく、世代交代も含めて繋がっていくということが大事だと。
後編は、Cafe SUNSET、林憲治 氏との出会い、そして自身がプロデューサーとして関わられているSUNSET LIVE始まりについて、伺いました。当時の貴重なお写真も掲載されております。
■後編 >> 深町健二郎 氏が語る「Cafe SUNSETや林憲治 氏との出会い、そしてSUNSET LIVE」
取材:武蔵 巧(SUNSET STYLE 編集部)
編集:福田基広(SUNSET STYLE編集長)
深町健二郎(ふかまちけんじろう)
福岡市出身。イベントプロデューサー、ミュージシャン、タレント。
日本経済大学経営学部芸能ビジネスコース教授
福岡ミュージックマンス総合プロデューサー
1989年に始まったKBCのテレビ番組「ドォーモ」のコメンテーターを務めて以降、テレビやラジオ番組にも多数出演。
糸島市の芥屋海水浴場で行われるサンセットライブでもプロデューサーを務め、イベントを成功に導く。
誕生日:1961年12月22日
出身地:福岡県福岡市
オフィシャルブログ:深町健二郎のブログ