今回25周年を迎えたSUNSET LIVE2017にて、
が参加!楽しみにしていたファンが、開催前から並んで待つほどの期待高まる中、蓋を開けてみれば期待以上の素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
そんなEXILEメンバーから、EXILE、EXILE THE SECOND、DANCE EARTH PARTYを兼任している EXILE TETSUYA 氏にロングインタビュー!実はTETSUYA氏、糸島が好きで、SUNSET LIVEに出演するキッカケを作ってくれた張本人なのだ。
彼のダンスとの出会い、コーヒーを通じて学んだ「おもてなし」文化、SUNSET LIVEへの熱い想いを語っていただいた。
後編はこちら!
>> 【後編】EXILE TETSUYA氏インタビュー:アーティストに愛されるSUNSET LIVEとは?
──ダンスを始めたきっかけをお聞かせください。
TETSUYA:僕は一般的に考えたら、スタートした時期が少し遅い19歳でダンスをスタートしました。僕の地元は、神奈川県横須賀市で、スケボーをはじめとするストリートカルチャーが強い印象。僕も始めはスケボーからストリートカルチャーに入りました。
街の先輩をはじめとする、様々な方々と出会う中で、やっぱり「ストリートカルチャーってかっこいいな。」と思い始めました。音楽もあってファッションもあるストリートカルチャーの中でも「ダンス」がずっと、僕の中に引っかかっていました。
でも、始めるタイミングが学生の頃はなく、ちょうど学生を卒業し就職した19歳の時、街の先輩がダンスをやっているのをたまたま見て「どんな動きしてんだろう…。」と思ったのが本格的に興味を持ったキッカケです。
だから僕の場合、ヒップホップという音楽のジャンルが好きになってダンスをやったというよりは、ダンスの動きそのものに惚れ込んでしまいました。
※ストリートカルチャー:
直訳すれば路上文化。主にスケート、グラフィティ、ヒップホップなど、およびその周辺のファッションや音楽、ライフスタイルを指す。
日本においてはアパレルブランド、ファッション誌などの影響下にある若者の消費行動の一種。
本来は社会の支配的な文化(ハイカルチャー)に対する マイノリティの文化事象(サブカルチャー)を指す。ストリートカルチャーの担い手の多くはエスニック・マイノリティやストリートチルドレン、同性愛者と いった「下位集団」であり、独自の価値観と行動様式、話し言葉などをその特徴とした。
引用元:ストリートカルチャーとはwiki参照
TETSUYA:地元横須賀で活躍されている方々が街の先輩なのですが、地元にはベース基地があり、アメリカの基地から横須賀の街に来るハーフの方や、アメリカ人など、、、
そういった「異国文化」がごちゃごちゃにミックスされていました。今は安全になりましたが、当時は怖い街だった記憶があります。本当に、街に出るのもドキドキしました。学生だったし若いというのもあったので、「何が起こるのだろう、この夜は。」みたいな(笑)
ドキドキするのだけど、でもそれが刺激的で夜、街にいるだけで「かっこいいことしているのかも?」みたいな、ちょっと男心をくすぐるような感じですね(笑)
──「ちょっと悪いのがカッコいい!」みたいなのありますよね!
TETSUYA:そう!だからよく街に遊びに行っていた、というのがありました。
──EXILEに入るきっかけをお聞かせください。
TETSUYA:EXILEに参加できたのは、本当タイミングが重なった結果なんです。
ダンスを始めて1年くらいで、20歳になりました。僕がお世話になった先輩は、業界でも顔が広く、東京のほとんどのクラブでも有名な方でした。そのため、その先輩と一緒にクラブへ向かうと、どこのクラブも安く入れたのです。なので「僕を連れて行ってください!」ってお願いすると、じゃあ「東京のクラブ行こうよ!」と、よく連れて行ってもらってました。
※クラブとは、音楽が流れていて、お酒を提供してくれたり、お客さんがダンスをしたりする場所。昔は、ディスコとも、呼ばれていた。
TETSUYA:当時はお金が無いから、500円でも安く入りたいじゃないですか(笑)
初めて渋谷のHarlemというクラブに行った時に、毎週開催されていた有名なイベントが開催されおり、そのイベントがたまたま最終回でスペシャルな内容でした。
その時にステージで踊っていたのが、東京でも有名な、すごいダンサーだらけ。彼らが次々に出てきて踊るというショーをやっていて、その時に最後に出てきたのが、スーツの5人組、初代J Soul Brothers。「J Soul Brothersも現場(クラブ)でこんなにカッコ良く踊るんだ!」と衝撃がありました。
当時クラブカルチャーをそこまで知らなかったので、先輩たちもHarlemですごい頑張って踊って、有名になってJ Soul Brothersになったんだと。そのデビューして活躍している先輩たちを見て、「やっぱり東京ってすげーんだな!」「芸能人にこんなすぐ会えちゃうんだ!」って(笑)
それからダンスにハマり東京へ通うようになった頃、2004年にEXILEがミュージカルを開催したんです。今でこそ、僕らLDHがお芝居をするのは普通ですが、当時は「新しい形のミュージカル」として、自分たちの楽曲もやりながらお芝居もやったり、ダンサーがお芝居を行う、非常に画期的な試みでした。
その時に当時のEXILEのメンバーの先輩方が、東京で頑張っている若手ダンサーを集めて、サポートダンサーにしよう!という企画をはじめていて、集められた約20人ぐらいの中からサポートメンバーとして参加させていただくことができました。
その時に、今で言えばKENCHIとか啓司もいたし、RATHER UNIQUEというグループでAKIRAは、LDHに所属していましたし、今のDEEPのメンバーもいました。MATSUさんとかMAKIDAIさんÜSAさんには、「俺たちもそうだけど、クラブで同じ風に頑張っていて、アーティストを目指してデビューできたんだよ。」と言われました。
更にその時、当時EXILEのリーダーでLDH代表のHIROさんと初めて話すことができて、
「みんなは今、クラブで頑張っていると思うけど、叶わない夢はないと思うから、自分たちの夢がもし見つかって、アーティストになりたいと思ったら、相談してみてよ。」
みたいなことを言ってくれて、例えるなら「本気で火がついた」感じになりましたね(笑)
※KENCHIとは、本名、橘ケンチでEXILE、EXILE THE SECONDのメンバー。詳しくは、Wiki参照へ。
啓司とは、本名、黒木 啓司でEXILE、EXILE THE SECONDのメンバー。詳しくは、Wiki参照へ。
RATHER UNIQUEとは、MAKIDAIやÜSAが所属していた日本人5人組ヒップホップグループ。詳しくは、Wiki参照へ。
AKIRAとは、本名「黒澤 良平」EXILE、EXILE THE SECONDのメンバー。詳しくは、Wiki参照へ。
DEEPとは、LDH所属の日本の4人組コーラスグループ。詳しくは、Wiki参照へ。
HIROさんからの言葉で、180度ベクトルが変わってしまって。「EXILEみたいにならなかったら人生損だ!」と、考え始めました。
いわゆるアンダーグラウンドシーンというクラブのシーンも大好きなのですが、そこから自分も、メジャーシーンに出てデビューしたりとか、そんなことを夢見てもいいのかな?と初めて思えました。そこからいろいろあり、2007年にJ Soul Brothersが復活して、そのメンバーになったというのが経緯ですね。
──かっこいい人たちとか周りの先輩たちが夢を見させてくれたんですね!
TETSUYA:そうですね!街の先輩って、どこか怖いのだけどやっぱりかっこいいというか。。。そこに憧れを持ったというのは事実だし、あの頃は特にずっと、毎日ワクワクしていた気がします。
タイミングが何年かずれていたら、こうはなっていなかった。だから今考えてみれば、すごくいいタイミングでダンスを始めて、EXILEと出会って、EXILEにもなれたのかな、という風に思います。本当にがむしゃらにやって、お金無かった時は、実家に帰ろうかなと思ったこともあります。挫折しそうな一歩手前までいって、でもやっぱり諦められないから「もう一歩先に進んでみよう。」っていう繰り返しではありましたね(笑)
──さすが、持っていらっしゃいますね!それだけダンスが、好きだったのですよね。
TETSUYA:ダンス、やっぱり好きでした!もちろん今でも大好きです!
──夢を追いかけて実現していった時に、TETSUYAさんプロデュースの中目黒にあるコーヒー屋、AMAZING COFFEEはどのようなきっかけでオープンされたのですか?
※AMAZING COFFEEとは、TETSUYAさんがプロデュースし、2016年11月に中目黒に第一号店がオープンした。公式サイト参照
TETSUYA:実はEXILEに参加した当時、僕はコーヒーを飲めませんでした。。。美味しさがよくわからないというか、、、
でも2010年くらいかな?友達がコーヒー屋を始めたのをきっかけに興味を持ち、ある日、その友達が「すごく感動させてくれる美味しいコーヒー」を飲ませてくれたんです。そこで初めて僕は、ブラックコーヒーを飲みました。あまりの美味しさに「なにこれ?コーヒーなの?」それからハマっていきました。
そして、そのコーヒー屋のオーナーになった友達と色々なことを話したのですが、その中でピンと来たのが「おもてなし」
「おもてなし」日本で言えば「お茶」であったりするじゃないですか?そういった「おもてなし」という文化と「EXILEが目指しているホスピタリティー」という「おもてなし」は、共通しているのでは??
「おもてなし」自体を、もっと自分の中で理解をしたい考えになり、理解するために、毎日自分でハンドドリップしたコーヒーを水筒に淹れて、以前は6本ぐらい持ち歩いていました。
そしてリハーサルの時にはスタジオに置いておき「自由に飲んでください」と、差し入れみたいな感じにしたんです。ライブツアーがある時は毎日、朝淹れてスタッフの方たちにも差し入れをして「今日もよろしくお願いします!」と届けていました。
ある時、確か記憶では、東京ドームのライブが終わった帰りに、その水筒が綺麗に洗ってあり、なおかつ「いつも美味しいコーヒーありがとうございます。」と、手紙が付いていました。
毎朝、差し入れする分のコーヒーを淹れるのは大変ですけど、でも、次の朝には淹れずにはいられない。だからその時、洗って返してくれたことにめちゃめちゃ嬉しくなって、「あ!なるほどな!」と「おもてなし」について自分なりに理解しました。
たとえば僕のマネージャーさんが言ってくれた「ありがとう。」と、その日僕が東京ドームのステージから受け取る5万人のお客さんの「ありがとう。」って、規模感は違うけど、この「ありがとう。」の質はまったく同じなのかなと。だから、「あ、おもてなしとはこういうことか!」と、そこで気づきました。
これを機に、更にコーヒーにはまっていっていた頃、事務所の方から「社内にコーヒーカウンターを作ったら?」と提案してくれたんです。そこから事務所内に機械を置いて社員の方に楽しんでいただいたり、「差し入れ用の車とかあったらいいよね」というアイデアをもらって今のシトロエンを作ったり、いろいろと試行錯誤しました。
そこから更に色々な方に喜んでもらえた結果、AMAZING COFFEEをオープンさせていただく事になりました。
「僕もいつか、老後の楽しみで糸島みたいなところにコーヒー屋を作って、素敵なおじいちゃんになれれば最高じゃん!」と思っていたんです!でも、まさか、こんな早いタイミングで実現するとは思ってなかったです。
いろいろ考えた結果、まず一号店は、僕らの本拠地である中目黒にコーヒー店があったら、素敵だよね?ということで、一号店を中目黒に作らせていただきました。
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>> 【後編】EXILE TETSUYA氏インタビュー:アーティストに愛されるSUNSET LIVEとは?
取材:武蔵巧、福田基広(SUNSET STYLE編集部)
編集:福田基広(SUNSET STYLE編集長)
撮影:SUNSET LIVE公式スチール班
EXILE TETSUYA
2007年、二代目J Soul Brothersのメンバーに抜擢。
2009年3月1日、EXILEにパフォーマーとして加入。
2011年~橘ケンチ、黒木啓司、TETSUYA、NESMITH、SHOKICHIの5人から成る、『THE SECOND from EXILE』としても活動中。
同年、月刊EXILEにて、自身が所長を務める「EXILEパフォーマンス研究所(E.P.I.)」の連載を開始。
2013年よりNHK Eテレ「Eダンスアカデミー」に講師として出演。
同年、眠り of the year 2013「ベストネムリスト」受賞。
役者として、NHK「行列48時間」、BS朝日「家族法廷」などのテレビドラマ、「DANCE EARTH~生命の鼓動(イノチノリズム)~」、劇団方南ぐみ企画公演「袋のねずみ」などの舞台に出演するなど、役者としても活動中。
2014年に開設された淑徳大学人文学部表現学科の客員教授に就任。
同年、adidasとの共同開発による世界初のダンスパフォーマンスシューズ「DP.01」発売。2015年には新色モデルも発売。
2015年ÜSA・TETSUYA・Shizukaからなる「DANCE EARTH PARTY」の正式メンバーに決定し本格的に始動。
2016年、美作大学客員准教授に就任。
2016年、EXILE AKIRAを加え『EXILE THE SECOND』と名前も改名し本格始動する。
同年11月22日、TETSUYAプロデュース「AMAZING COFFEE」1号店を中目黒にオープン
2017年、早稲田大学院スポーツ科学研究科[社会人修士課程1年制]入学
以上、公式サイトより抜粋
TETSUYA関連サイト
AMAZING COFFEE
EXILE THE SECOND LIVE TOUR 2017-2018 “ROUTE 6・6”
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