楽しく「枠」にはまらない幸せな生き方を追求するカルチャーマガジン

【8/29追記有】林 憲治 氏が語る、SUNSETの「今まで」と「これから」

糸島、海、そして音楽

── 林さんが糸島に来られたきっかけを伺いたいです。林さんの生まれ年は1961年で、今56歳、とても若々しいですね!ご出身は福岡ですか?

林 憲治:両親とも糸島 前原の出身で、自分も3歳まで今宿に住んでいました。父の転勤で関東、関西、東北と移り住み、高校は中退。その後フラフラしながら飲食業も含め色んな仕事をしました。20歳の時に父が亡くなったのをきっかけに家族と一緒に福岡に帰ってきました。

── サーフィンはどういった経緯で始められましたか?

糸島に戻ってから一年くらいして、サーフショップを営む人に出会い、それまでに感じたことのない感銘を受けました。高校を中退して、社会の仕組みの矛盾を感じたりしていたあの頃。周りはサラリーマンが多い中、彼の生き生きとしたライフスタイルを見て、こんな生き方もあるんだと強く思いサーフィンにものめり込んで行きましたね。

── その当時は自由に生きている方ってそんなに多くなかったかもしれませんね。

林 憲治:きっといらっしゃったと思います。しかし、自分はサラリーマンの転勤族でそういう人に出会ったことはなく、 それなのに、山や田んぼを崩して団地をつくる街づくりに疑問を持っていて、レゲエや、ボブ・マーリーなど、音楽の好みにもそんな思いから結びついていったのでしょうね。

 

 

BEACH CAFE SUNSETの誕生

林 憲治:最初に立ち上げたお店は、BEACH CAFE SUNSET。29歳の時に、0から建てました。大工さんと一緒に掘っ建て小屋を。

── カフェにしようと思われたきっかけは?

林 憲治:カフェにしようというか、本当は住みたくて。宮崎で知り合った人が、世界中トリップしていて、ちょうどインドネシアから戻って来た時に、カフェっていいよねと言われ、今から28年前、BEACH CAFE SUNSET になりました。その当時は他にカフェなんて名前はなかったと思います。カフェという名前を使うのはかなり早かったんじゃないかな?

昔のCafe SUNSET。様々な出来事や思い出がたくさん詰まった場所です。

 

── SUNSETという名前の由来は?

林 憲治:最初の基礎を作っている時に、穴を掘ってそこに丸太を入れていたのですが、仕事が終わり夕方になると、毎回こう夕日が目の前にバーンと落ちてくるんです。そして、名前をつけようと思った時にはもうSUNSETしか浮かびませんでした。

── 素敵ですね。

 

 

そして、SUNSET LIVEのはじまり

林 憲治:BEACH CAFE SUNSETが誕生して3年後、1993年にSUNSET LIVEを始めました。一番最初のSUNSET LIVEの時に来てくれたアーティストは関西と関東のレゲエバンドです。自分がその時、レゲエがすごく好きだったので。当初は1日開催で、約400〜500人ぐらいの方にお越しいただき、駐車場は結構大変なことになりました笑

── それくらい来ると想定されていましたか?

林 憲治:いや、想定してませんでした。その年は1993年、ちょうど冷夏でコメ不足になった年で、8月がずっと土日が雨で、たまたまこのライブの時だけ晴れたんです。その前の日が台風で、それこそ波はあるし、夕日は出るし、奇跡のような日でした。

── 一番最初に始めたのも9月頃だったのですか?

林 憲治:そうです。途中8月末になり、糸島に移る時にまた9月になりました。

 

── 以前されていた場所では何回くらい開催されたのですか?

林 憲治:10回か11回ぐらいです。そのあとは、芥屋のビーチに移ってからずっと、糸島での開催です。

── SUNSET LIVEの開催は毎回大変だと思いますが、初期の頃の苦労話などはありますか?

林 憲治:海が綺麗だから。と思って開催したら、人がたくさん来てゴミが増えてしまったとか、駐車場のことなど想定していなかったので、人がくれば色々なトラブルがあるんだと改めて知りました。

sunsetlive2001-3

2001年、旧会場最後のSUNSET LIVEの様子。

── 過去にもイベントを主催されたことなどはありましたか?

林 憲治:いや、自分が主催ではSUNSET LIVEが初めてです。それまで糸島は海の家しかなくて、海の家で夜中にライブをやったりしていて、自分はレゲエとかナチュラル系ですが、ハードコアなパンクっぽい人もライブをやっていたりとか、そういうのがちょくちょくあって、やっぱり誰が来ても夏の海は楽しめるんだなと思いました。

── SUNSET LIVEをそもそも開催しようと思われたきっかけはございましたか?

林 憲治:きっかけというか、綺麗な自然や海になって欲しいとメッセージを込めたら、同じような思いの人間が集まって来て、自然とSUNSET LIVEが出来上がりました。当時はバブルの頃だったから、みんなお金を使う遊び方しかしてませんでした。海に来るのも夏の一瞬だけ来て、ゴミ置いて帰る。それが自分は耐えられなくて、海を楽しんだ上で、海をみんなで綺麗にして夏が終わればいいなという想いもありました。

── この夏、25周年を迎えるSUNSET LIVEですが、林さんにとってSUNSET LIVEはどのようなものですか?

林 憲治:そうですね、25年、あっという間ですね。本当にSUNSET LIVEのおかげで自分も店も成長できたし、自分はSUNSET LIVE=地元のお祭りのような、自分は自然や田舎が好きで、その大好きな田舎が元気になる祭り事だと思っています。

 

ウェブマガジンSUNSET STYLE創刊、そして伝えたいこと

── BEACH CAFE SUNSET、CURRENT、空、そしてSUNSET LIVEなど、、、株式会社ALOHA PLANさんの今後の展開を、是非お聞かせください。

林 憲治:楽しく、好きなことができる村のようなコミュニティを作っていきたいですね。

── ありがとうございます。今回立ち上げることになったSUNSET STYLEなのですが、こちらのコンセプトがあればお聞かせください。

林 憲治:自然や社会、全てにおいて、バランスがとても大事だと思います。人間もやっぱり自然の生き物。バランスをとりながら楽しく、でも枠にはまらず、幸せな生き方を追求できればいいなと思っています。
若い頃に不安な閉塞感を胸に過ごした自分がいます。同様な思いを持つ人がそれを払拭できるよう、これからの若い世代や、子供たちそして様々な世代がワクワクするような社会が理想です。

── それを伝えていけるようなウェブマガジンというところで、SUNSET STYLEが始まったのですね。
では最後になりますが、SUNSET LIVEに来られるお客様に一言お願いします。

林 憲治:遊び尽くして欲しいです!来たことない人は ますます体験してほしい!
SUNSET LIVEに盛り込んだメッセージを各所にご用意しています。
みなさんのそれぞれの感覚で感じて楽しんでください。

 

取材を終えて

糸島で、常に面白い企画や展開をし続けている「林 憲治」さん。
3つの市が合併し、1つになった街「糸島」が生まれる前から、ずっとこの場所で遊び続けている方の話は、とても面白く、刺激的。

一言で表現するならば「カッコいい大人」

自然と街
海と山
遊びと仕事

全てにおいて全力、それでいて「バランス」を大切にした生き方を、自分なりに模索していこうと、改めて思わせてくれた上質な時間だった。

 

取材、撮影、編集:福田基広(SUNSET STYLE編集長)

 

 

PROFILE

林 憲治
Sunset Live実行委員会/株式会社ALOHA PLAN/SUNSET 風土 COMPANY 合同会社

1961年、福岡県出身。20歳でサーフィンを始め、海をこよなく愛することから1990年に、福岡市西区の海岸沿いにBeach Café SUNSETをOPEN。1993年よりカフェでSunset Liveを毎年開催、2002年より糸島市(旧志摩町)にある芥屋海水浴場で開催し、野外フェスの走りとなった。そのほかにも、野北海岸(糸島市)にパン屋とレストランが一緒になった CURRENT、2011年には福岡市西区宮浦漁港に、鮨「空 -ku- 」を開店している。

■Beach Café SUNSET
https://www.beachcafesunset-1990.com/

■Bakery Restaurant CURRENT
https://www.bakeryrestaurantcurrent-2007.com/

■鮨 和食 空-kuu-
https://www.sushiandjapanesefoodku-2011.com/

■Sunset Live
http://www.sunsetlive-info.com/

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